子宮体癌 親しい方への告知
前回、子宮内膜癌であると確定した私。
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正確に言うと、
この時点で子宮内膜癌 ステージ不明 G2(悪性度を示す基準)
という病理の診断でした。
ステージは癌がどこまで進んでいるのかというもので
ここではまだ詳しくは不明です。
病院の会計待ちで、現実感がなくボーっとしていましたが、
姉が気にしていてやきもきしているのを思い出しました。
母に姉に電話してくるといい、病院の外の階段で姉に電話。
なぜか携帯を持つ手が震えて押せなかったのをよく覚えています。
「もしもし、どうやった?」
(ええかっこしてましたが、本当は関西人なので関西弁です。)
「あんな。。。。。私癌やねんて。」
ここまで一度も泣いていなかったのに涙が溢れてとまりません。
「ほんまに?間違いちゃうの?なんで、そんなあんたが。
あんたほど笑う子おらんのに。そんなこと。。」
電話のむこうで姉が泣いています。
しばらく二人とも泣くだけです。
母が病院からでてきて、後ろから私を抱きしめてくれました。
「大丈夫。絶対治る、あんたはお母さんとお父さんの子やから。体、丈夫やから。」
3人とも泣くだけでした。
姉との通話を終わらせて泣きながら病院の待合室へ戻って、待ってました。
かなり待ち時間があって、しばらくすると看護師さんに呼ばれました。
先生がその場で紹介状を記入してくれたようで(どうりで待ち時間長い)
最短で予約を入れてくれたとのこと。(この先生には感謝です。)
4/上大きい病院へ行くことがきまりました。
母は会計が終わると先に原付で帰宅することに。
私は自転車できていたので、後から帰宅しました。
先に帰宅した母は父に報告。
母は原付に乗っている間ずっと泣いていたそうです。
私が帰宅すると、母がソファーに顔をうずめて泣いてました。
父はきっつい関西人なので、母に「お前が泣いててどうすんねん。
お前母親やろ、この子守らなあかんやろ(39歳なのに子供は子供)
しっかりせいや。」そんなこという父も目が真っ赤です。
多分私が帰宅するまで、2人で泣いていたようです。
私が家に入るときトイレに行くふりをして父は私にこう言いました。
「子供なんかいらんからな。俺らはもう孫4人もおるから。
こども産めんくても、生きていたらそれでええ。」
涙が再びあふれました。
母が「今日だけ今日だけ。明日からはこの子が治ることだけ考えて生きる。
でも今日だけは泣かせて。本当に辛いから」と言っているのが聞こえました。
部屋に戻り、一番仲のいい友達にだけは知らせておこうと電話。
(あとの友達は大体既婚者だけど、この子だけは独身)
「もしもし~。どうしたん、珍しいやんこんな時間に。
なんかあったん?」 むむっするどいな。
「あんな・・・私。。癌やねんて。」
「えっ (沈黙) 嘘やん!! なんで!あんたが。 嘘やろ」
ここで友達も泣きだしました。
その後今までの経緯を説明。
「助かるんやろ。大丈夫なんやろ」
「まだ詳しい検査しな分からん。けど、そこまでは進んでないと信じてる。」
その電話で友達が私にくれた言葉が、私は今も胸に残っています。
泣きながら「一緒におばあちゃんになりたいから。長生きして。」 と。
「うん。うん。そやな。頑張る。私も一緒におばあちゃんになりたい。」
とてもシンプルででも胸に染みる一言でした。
他にも会社関係や、お店の従業員の子、兄
(兄もいるんですよ。www)
細かく書くとこれだけで100頁になるので割愛しますが(笑)、
皆さんぎこちなくも、泣きながらも、手を握りながらも、私を励ましてくれました。
たくさんの方の支えで生きているのを実感した瞬間でした。
そして。。。
不安でいっぱいでしたが、勇気をもって挑もうとその日決めました。
次回は治療にはとーーーっても大事なお金のお話をしたいと思います。
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